ことぶきブログ
2013年9月 7日 土曜日
元気は元気を呼ぶ
この厳しい世の中を生きていると、辛いこと、悲しいこと、苦しいことは誰もが感じていることです。
それが限界に達すると、人は生きる気力をなくし、最悪の状況を招く場合もあります。
私自身、疲れがピークになり、気力をなくすことが、たまにあります。
しかしそんな時、決まって私の眼前に、ある人達が現れます。
その人達とは、私の身近にいる人の場合もあるし、テレビを通しての場合もあります。
つまりどういうことかと言うと、私よりもはるかに苦しい状況にありながらも、明るく前向きに生きている人たちのことです。
過去にこんな事がありました。
当時、私は仕事のことで非常に疲れており、何もやる気が起こりませんでした。そんな時、いつも来院されていた患者様の御親族の方が亡くなられ、予約キャンセルの連絡があったのですが、当分は辛さで接骨院どころではないだろう、と思っていましたところが、その方は数日後に来院されたのです。
私は思わず、「もう大丈夫なんですか?」と伺いました。するとその方は悲しい素振りを一切見せず、私に、
「親が亡くなった事は辛いけど、いつまでも悲しんでても始まらないし、今生きてる人達が大事だから」
と答えられたのです。親が亡くなって悲しくない訳が無いのです。しかし既に前向きに頑張って生きようとしている姿に、私の方が泣きそうになったのを憶ています。
また当院には、中学生の頃から来院されている現在高校生の女性がいます。
その方は、小学生の頃から本格的なダンスを習っていて、殆ど自由時間のない毎日だったにも関わらず、高校は都内有数の進学校に入学、現在に至っても、朝5時起き、帰宅は、ダンスレッスンの為、0時を過ぎることも珍しくないそうです。 ダンスをしているから勉強が出来ない、などという言い訳も一切せず、しかも弱音を吐かない、こんな女子高生、滅多にいません。
自分が元気がない時に誰かに、「頑張って!!」と言われても、急に頑張れるものではありません。
しかし私の周りには幸い、自分よりもはるかに辛く苦しい状況の中で、明るく前向きに生きている人達がいます。
その人達を見ていると、自分の辛いとか苦しいとか感じていることが、如何に些細なことか、ということを思い知らされます。情けない話ですが
その人達の生き様が、私をとてつもなく元気にしてくれます。
それが限界に達すると、人は生きる気力をなくし、最悪の状況を招く場合もあります。
私自身、疲れがピークになり、気力をなくすことが、たまにあります。
しかしそんな時、決まって私の眼前に、ある人達が現れます。
その人達とは、私の身近にいる人の場合もあるし、テレビを通しての場合もあります。
つまりどういうことかと言うと、私よりもはるかに苦しい状況にありながらも、明るく前向きに生きている人たちのことです。
過去にこんな事がありました。
当時、私は仕事のことで非常に疲れており、何もやる気が起こりませんでした。そんな時、いつも来院されていた患者様の御親族の方が亡くなられ、予約キャンセルの連絡があったのですが、当分は辛さで接骨院どころではないだろう、と思っていましたところが、その方は数日後に来院されたのです。
私は思わず、「もう大丈夫なんですか?」と伺いました。するとその方は悲しい素振りを一切見せず、私に、
「親が亡くなった事は辛いけど、いつまでも悲しんでても始まらないし、今生きてる人達が大事だから」
と答えられたのです。親が亡くなって悲しくない訳が無いのです。しかし既に前向きに頑張って生きようとしている姿に、私の方が泣きそうになったのを憶ています。
また当院には、中学生の頃から来院されている現在高校生の女性がいます。
その方は、小学生の頃から本格的なダンスを習っていて、殆ど自由時間のない毎日だったにも関わらず、高校は都内有数の進学校に入学、現在に至っても、朝5時起き、帰宅は、ダンスレッスンの為、0時を過ぎることも珍しくないそうです。 ダンスをしているから勉強が出来ない、などという言い訳も一切せず、しかも弱音を吐かない、こんな女子高生、滅多にいません。
自分が元気がない時に誰かに、「頑張って!!」と言われても、急に頑張れるものではありません。
しかし私の周りには幸い、自分よりもはるかに辛く苦しい状況の中で、明るく前向きに生きている人達がいます。
その人達を見ていると、自分の辛いとか苦しいとか感じていることが、如何に些細なことか、ということを思い知らされます。情けない話ですが
その人達の生き様が、私をとてつもなく元気にしてくれます。
投稿者 共生ことぶき整骨院